2009.12.17
dk

完本 1976年のアントニオ猪木

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まず最初に私はプロレスを心から愛しているということを伝えておきます。

この著書ではアントニオ猪木(以後、猪木さん)が、長いプロレス人生の中で、1976年にのみ唯一行ったリアルファイト「真剣勝負」を軸に、日本の総合格闘技の誕生から進化までつながる猪木さんの破天荒な人生を述べ、「プロレス」と「リアルファイト」との違いを著しています。

そもそもプロレスがリアルファイトだとは私自身思っていません。
ただし八百長だとも思っていません。

プロレスを私なりにわかりやすくいうと、「ハリウッドのアクション映画」を見る感覚に似ていると思います。

仮にターミネーター1.2をあげます。
※3は黒歴史、4はテーマがイマイチ伝わらず微妙なため

1で主人公であるサラ・コナーは、未来からきたターミネーターと対峙し、同時に未来から彼女を救うためカイル(人間)が送り込まれます
そしてその圧倒的な強さの前にピンチに陥るも、最終的には勝利を収めます。
カイルはその際死にますが、サラ・コナーはカイルとの間に息子ジョン・コナーを宿します。

2ではサラコナーの息子のジョン・コナーをターゲットに未来から新型のターミネーターが送り込まれます。
同時に未来のジョン・コナーは、それを守るために旧型(1で登場)のターミネーターを送り込みます。
新型に圧倒されながらも、旧型とコナー親子は力を合わせ、最終的には勝利します。

プロレスも同じことがいえます。
勝者が最初から決まっており、バットエンドでも続きがあり最終的に勝つ。(ファンなのでこれを書くことが非常に心苦しいですが…)。
ただ、戦いの中でピンチを演出しチャンスを見つけ劇的な勝利をおさめるのです。

ターミネーターを見て、
「一度にターミネーター2体送れば圧勝だろう」とか
「2で勝ったから未来は平和ということになり、1でカイルを送る必要がなくなるというタイムパラドックスが生じる」とか
そういうことをいう人はよほどの偏屈な人で、ほとんどの人は無条件に「映画」として受け入れていると思います。

それがまさにプロレスです。

映画の良し悪しを決めるのはまず「脚本」であり、映像技術やカット割り等の「演出」もさることながら、役者の「演技」です。

プロレスも同じで、鍛え抜かれた肉体と、技を受ける技術、エンターテイナーとしての試合の組み立て(脚本)があるからこそプロレスなのです(何て心苦しいんだ)。

この著書にもあり、読んだ後に私自身ショックで2、3日は毎晩酒を飲まずにいられなかったくらいですが、
ウィリアム・ルスカとの「リハーサル」のことに触れています。
有名なバックドロップ3連発も台本通りというものでした(いたたまれない)。
しかしそれは、脚本をよりよいものにするためであり、演出・演技にかかわることなのです。

プロレスはエンターテイメントなのです。

この著書は単に「プロレスはリアルファイトではない」という暴露本ではなく、魅力あふれるアントニオ猪木という人物の裏側を鋭く描くものです。
この著書を読んでから落ち込むことはありましたが、プロレスが以前より好きになりました。

プロレスファンの方には是非読んで欲しい一冊です。
八百長だという方は一度生でプロレスを観に行かれるのをおすすめします。

映画を映画館で見るのとDVDで観るのと違うように
プロレスはリングサイドで観るのが一番面白いですよ!

dk

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