今回はものづくりについて話していこうと思う、タシロであった…完。
先々月、10月頃に祖父が庭で倒れたと連絡があり、急いで病院へ。
そこから急展開で祖父が亡くなり、葬儀の話へ。
斎場で売られていた蝋燭が10本入りで6,000円くらいして葬式ってめっちゃ金かかるな…とか、
美容師の母が最後に祖父の髪やら髭などを整えているうちにプロ意識が白熱して祖父が毛だらけになって焦っていた話とか、
棺桶に生きた人間の写真をいれてはいけないとか、
しまむらで喪服がお手軽に売っていてとっても便利だったとか、
なんやかんやあり、お葬式へ___。
お葬式では、タシロの家は無宗教なので、坊さんのライブや、
祖父が嫌いだったため、お線香も焚かず、フリースタイルの葬儀でした。
家族でお花を棺桶に飾り付け、それぞれで手紙やら生前祖父が好きだったものや、
思い出のものなどを入れて、みんなで食事をするという形式だったのですが、
そこでの料理がわりと微妙で…祖父がここにいたら「ここの料理あんまりうまくねぇなwwwww」って
失礼なことを平気で笑いながら言うんだろうなと思い出し、ちょっぴり寂しい気持ちになりました(笑)
翌日、火葬場に行き祖父の骨を拾ったのですが、
火葬場に行くと、燕尾服のような喪服に身を包んだ火葬場の職員の方が迎えてくださるのですが、
(呪術廻戦とか、チェンソーマンとか、思い出した笑)
場所が場所なので、みんなビシッとかっこよく決めていて、めちゃめちゃご丁寧に対応してくださりました。
最近新設したのか、タシロが思っていたもっと薄暗く倉庫のようなイメージの火葬場とは全く違い、
美術館のような内装で、タッチパネルで管理し、電光掲示板などで案内を出していて、
はちゃめちゃに自動化の進んだハイテクな場所でした(笑)
(タシロが高校の修学旅行で行った京都国立博物館 平成知新館を思い出しました笑)
実物の画像探したのですが、公式ページがないのでイメージです。
まず、↑こんなような場所に職員の方(燕尾服の紳士)が登場します。
そこから棺桶を専用の自動の台車に載せ、
石造りのいくつも並んだ部屋(The Backroomsっぽい)へ移動し、火葬の流れを説明へ。
↓こんな感じの部屋がずぅーと続いているので本当にThe Backroomsっぽい
そのあと、所定の場所まで台車を運び、
「これより火葬を行いますので、喪主様は炉の鍵をお持ちください」と言い、
祖父の入った棺桶を炉の中へ、そして喪主である祖母が炉の鍵を閉めたのですが、
そこからがもうハイテクで、職員の方がタッチパネルを色々操作していて、
最近の火葬場ってタッチパネルで管理するのかと、感心しました。
ビットスターに勤めていて、タシロはWebサイトのデザインなどを作ったりしているのですが、
作るのはWebサイトだけでなく、いろんな管理システムの画面を作ったりなどにも関わっていて、
タシロや他のデザイナーの方が作ったデザインから、エンジニアの方々が息を吹き込み、システムを動かし、
サービスをご提供する。
そんな過程できっとこんな風に誰かに使われ、誰かの生活をハイテクにしているんだろうな…と思うと
すげぇ…と思いました(笑)
結構せわしくなくお仕事をしていると目の前のやること、やらなきゃいけないことに追われ、
こういう気持ちを忘れがちになってしまうので、原点に返るという意味でいい機会になりました。
火葬の後に、祖父に家に行ったのですが、
そこで、久々に祖父のアトリエに入ってみたんです。
そしたら、小学校の頃に入ったときとは比べ物にならないくらい所狭しと祖父の作った作品が綺麗にアトリエを埋め尽くすくらい並んでいました。
祖父はもともと建具屋を営んでおり、モノづくりが好きな人でした。
小学校の頃のタシロは学校の図工の時間で作った謎のオブジェ(笑)を改良すべく、
よく祖父のアトリエに入りびたり、木の木っ端やら釘やら、やすりやら、祖父の使っている道具や材料を勝手に引っ張り出してきて
工作しているような子供でした(笑)
祖父も祖父でもくもくと自分の作りたいものを作っているような人だったので、
それにとやかく言うでもなく、口を挟んでくるでもなく、下手な大人の構い方をせずに、
互いに数時間無言でモノづくりをしているようなそんな心地の良い空間でした。
ある日、学校で彫刻を使ってこんな風に和柄を掘る図工の授業があったのですが、
そこで覚えて意気揚々と祖父のアトリエに向かい、
祖父のアトリエにはそこら中にいっぱい木の木っ端やらが転がっているのでそれを使い、
彫刻刀で好き勝手に色々掘って謎の創作物を作っていました。
すると、珍しく祖父がそれを覗いてきて、小学校の頃のタシロは特にその時は何も思わず
そのことすら大人になって祖父のアトリエに足を踏み入れる今の今まで忘れていたのですが、
祖父のアトリエでタシロの作った作品が未だに区分けして保存されていて、
祖父の最近の作品にも彫刻刀で掘ったような作品がいくつもあるのを見て、
あの私と祖父だけの時間は確かに祖父の中にあったんだなと、少し嬉しくなりました(笑)
年齢とか子供とかそういうの気にせず、自分が良いと思ったものを取り入れて自分のものにする。
そういう祖父の生き方が無性にうらやましくなりました(笑)
大人になると経験や年数で培ってきた自分なりのやり方など、
今まで積み重ねて来た大人の無駄なプライド的なものに苛まれ、
素直に受け取ることができなかったり、新しいことに挑戦することに踏みとどまってしまったり、
自分が本来やりたかったことや、本来の目的だったり、意味だったりを振り返るには十分な機会でした。
「どんな仕事でもいいから一生懸命頑張りなさい」
「自分のために頑張りなさい」
言われたときは、特に何も思わなかったけど、
今振り返ってみると、結構いいこと言ってますね、タシロの祖父(笑)
学生の頃は自分のために勉強をするという概念がぶっちゃけそんなないので(笑)
自分が好きだからとか、親に言われたからとか、誰かに言われたからとか、将来路頭に迷いたくないからとか
そういう理由で学校に行き、勉強を強制されているような気持ちでいましたが、
いざ自分のなりたいものを決めて、それに向かって勉強をして希望の職業に就き、
Webデザイナーの仕事を始めると、日々どんどん新しいことが増え、勉強が必要だったり、
ぶっちゃけ自分の得意じゃないことをやって、自分の得意にしていったり、
Webデザイナーと聞くとおしゃんなカッコいい仕事だと一見思う人が多いかもしれないけど、
どんな仕事もそうだけど、仕事は楽しいことばっかりじゃないし、好きなことばかりでもない。
でも、それひっくるめて仕事だとタシロは思っているし、
だからこそ、どんな仕事も本当に好きじゃないとだめだなってタシロは思います(笑)
会社は学校ではないので、勉強は自分のためだったり、仕事を一生懸命やるために、
自ら時間を割き、向上心を持って意欲的に行うものです。
きっと時にはプライベートな時間を割くこともあるでしょう。
やりたくないけど、やらないと不味いことに直面することもあるでしょう。
不得意なことも得意にしていかなきゃいけない場面も大いにあります。
そんなタイミングでモチベーションを保ってくれるのが、「この仕事が好き」という気持ちです(笑)
完。
まあ、だから誰かに強制されてやるというスタンスが根付いている人にはどんな仕事もそうだけど、
どこかで自分の考え方やスタンスを変えていかないと
きっと、どこへ行っても道は険しいだろうなと思いつつ、
タシロは自分の考えを高校の卒業間際で叩き直せて良かったなと思う今日この頃でした(笑)
ちなみにタシロのターニングポイントは高校三年の進路相談w (←正直この頃は色々投げやりだった)
最初は美容師になろうかと思ったけど、美容師は母がそうなだけで本当に自分がやりたいことか?
本当に自分がやりたいことってなに?それになるにはどうしたらいい?何を勉強すればいい?
結局、下記のようなことが必要で
どれか一つでもかけてたら、意味がなくって、このすべてがないと、今のタシロはなかったなと思う今日この頃。
ここまでやって、やっと自分のやりたいことを自分のものにすることができる。
なりたいや目指しているなどの目的だけではだめで、また勉強や資格などの必要なことを分析しただけでもだめ、
行動だけで終わってもだめだし、目的を忘れて行動だけしても意味がない。
また、分析をせずに行動に起こせば、もちろん事故る。
目的を見失わず、必要なことを分析して考え、行動に移し、結果をださなければ得られるものがないか、少ないことが多い。
↑人生って難しいですね、バタフライ・エフェクトという映画を思い出しました(笑)
今回のことはいろいろ感情がぐちゃぐちゃになることが多かったけど、
色々大事なことが思い出せたいい機会になりました。
なんて、ちょっと臭くなったな…と思い、そんなこんなで、あなたの孫はこのブログを書いている今日この頃ですが、
今頃いかがお過ごしでしょうか?
きっと、あなたは今頃、三途の川を渡るのに用意された船が気に入らないという理由で、
俺が考えた最強の船(笑)を自作して、自力で三途の川を渡り切り、
閻魔様に難癖をつけ、悪態をついて裁判を長引かせていることでしょう(笑)
結構な悪たれ爺なので、ほどほどにしてください(笑)
悪態つけすぎて地獄行にならないよう祈っていますw
来世では、また一緒に謎のオブジェを作りましょう(笑)
孫より
タシログンヂ