2024.12.06
F生 一般

「積ん読の本」

師走でごわす

毎年12月になると、人々は皆、心の中の西郷どんに急かされて「師走でごわす」と口走ってしまう。
なんてことはもはや都市伝説となってしまったが、12月が片付けの季節であることは間違いない。
一般家庭では、畳をひっくり返して棒で叩いたり、天井の隅の蜘蛛の巣を割り箸で回し取って綿菓子にしたり、大仏の鼻の穴の煤払いをしたりと、掃除に余念がない。
私もこの季節には人並みに片付けを夢想する。
実は、この季節にかぎらず、毎月、毎週、いや毎日、部屋を片付けてスッキリしたいと思っている。
叶うことなら部屋の床を見てみたい。
部屋の中を真っ直ぐ歩いてみたい。
こんな部屋から抜け出してカタギに戻りたい。。。

じゃあ、片付けたら・・・

じゃあ、片付けたらいいのでは、と常識人(と自称する人)は言うかもしれない。
しかし、現実はクリスマスケーキの上の苺ほど甘くはないのだ。
本を買うという趣味を数十年に渡って継続中のため、部屋の中に本の山脈と本の氷河が形成されている。
本を読んで整理していこうと思うのだが、本を買うスピードよりも読むスピードが遅いため、本は貯まる一方だ。
ex.今年の場合、1冊読む間に11冊の本を買っていた。
喩えて言うなら11頭立ての競馬で、全出走馬の単勝を100円ずつ買ったら、オッズ1.0の本命馬が1着になった感じ(違うな・・・)。

そして、本題へ

本を読まずに本棚に並べたり、床から積み上げることを「積ん読」という(ようやく本題だ。前置きが長すぎる)。
「積ん読」という言葉は明治時代からあって、本の普及の歴史と同じくらい古い言葉だ。
ちなみに「積ん読」という概念は海外にはない。
だから「Tsundoku」は世界共通語だ。
「積ん読」のメリットは、たまに片付ける素振りをして本の山を崩そうものなら、見たこともない本と出会えることである(自分で買った本のはずなのに!セレンディピティ!!)。
先日も二重三重に積まれた本の一角を取り崩すと、面白そうな本が出てきた(自分で買った本の・・以下、略)。

「デビッド100コラム」と「ロバート本」

発見した本は「デビッド100コラム」と「ロバート本」(いずれも著者は橋本治で、この文庫本は1991年頃買ったもの)。
「デビッド100コラム」は前代未聞の書き下ろしコラム本。
ふつうのコラム本は、雑誌等のコラムをまとめたものだけど、この本は全100コラムが書き下ろし!
著者によると、コラムの本を出版したいけど、今から雑誌に連載してっていうのは時間がかかるから、書き下ろしてみたって(無茶苦茶やん)。
「ロバート本」は前代未聞の書き下ろし雑文集。
なんと全50の雑文が書き下ろしなのだ!(って、コラムと雑文って、どう違うのか・・・凡人にはイミフ)。

本の中味は説明できないけど(積ん読本なんで)、この2冊のタイトルがシャレオツ(死語)。
昔むかし、「0011ナポレオン・ソロ」という「007」にインスパイアされたスパイドラマがテレビで放映されてました(たしか、「スパイ大作戦」(いわゆる「ミッション・インポシブル」)より古かったはず)。
その「0011ナポレオン・ソロ」の主人公ナポレオン・ソロを演じた役者がロバート・ボーンで、相棒イリア・クリアキンを演じた役者がデビッド・マッカラムなのでした。
そんなわけで(?)「デビッド100コラム」と「ロバート本」は単行本の価格が1100円だったのです(文庫本が0011円でないのは残念)。

※橋本治とは、東大出身の作家でイラストレーターで編み物したりしてた人。「桃尻娘」がデビュー作。「とめてくれるなおっかさん 背中のいちょうが泣いている・・・」

「積ん読の本」

そして本当の本題である「積ん読の本」(石井千湖著 主婦と生活社)です。
この本は、12人の積ん読の達人の独自の積ん読ワールドを紹介しています。
そして、「積ん読」こそが読書の神髄であると「一般積ん読者」を勇気づけてくれる内容です。
その詳細は・・・・・・
すみません、まだまだ続くのですが、今回は紙面の都合でここまでです。
続きはまた次回(ということで、この本も積ん読の山へ・・・)。

F生

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