このブログという名の旅行記は前後編の構成です。先に前編をご覧になられるとより楽しめると私は考えています。
前編はこちら。
0.プロローグ
1.山形県・山寺
2.福島県・喜多方
3.新潟県・塩沢
ーー前編はここまで、以下より後編(このページ)ーー
4.新潟県・弥彦
5.秋田県・男鹿
※諸事情により前編に記載していた、5酒田、7津軽は割愛します。ゴメンネ
旅も中盤戦に差し掛かり4日目。今日は吉田駅から弥彦線で弥彦へ向かい、弥彦神社などを探訪、その後新潟、村上と経由して酒田で1泊する。この日はさほど予定は詰まっておらず、もっぱら北への移動がメインとなる日だ。というのも新潟周辺の公共交通機関で行ける範囲に目立った観光地がなく、どうにもうまいこと旅程を組み立てられなかったのが原因である。
朝は7時起床、そそくさと支度をして1階に降り、朝いちばんの朝食会場へ入る。種類は野菜がいくつか、魚が1種、ポテトサラダ、あとはお漬物が多数、そしてご飯とお味噌汁といったところ。朝も早かったので多分に余っているテーブル席の任意の場所につき、朝の情報番組を適当に眺めつつ朝食をちまちま口に運ぶ。この日のニュースは3連休に向けた行楽地の紹介がメインの内容であった。この3連休を利用して7日の旅をしているくせに世間が3連休であることをすっかり忘れていたが、世の中は3連休なのである、真夏のように暑いけど、9月も半ばに差し掛かったところなのだ。そういえばこのブログはちょうど1年前の出来事にあたる、1年はあっという間である。
▲泊まったホテル
てきぱきと準備して7時45分ごろホテルを出立、吉田駅に止まっていた弥彦行の弥彦線の列車に乗り込む。8時06分、数人の乗客を乗せて吉田駅を出発し、ほんの少し越後線と並走した後一気に南西に舵を切り弥彦駅へ向かう。途中矢作駅を経由し、わずか8分で弥彦駅に到着。弥彦線の旅はほんの一瞬であった。そして降り立った弥彦駅であるが、駅舎全体が神社を模しており、朱色の柱に白い壁は縁起の良い伝統色で彩られていた。朝が早かったこともあり駅員はおらず、各々自由に駅前へと繰り出していく。駅舎自体はかなり広々としており、待合室もかなり広そうであった。駅前の観光案内版を確認し、目指すべき弥彦神社の場所を頭に叩き込んで、朝日の照り付ける弥彦村を歩き始めた。
▲弥彦駅
朝の時間だからまだほんの少しばかりマシではあったものの、それでも神社への道は日影がほとんどなく、日光が直接照り付けるため暑いったら暑い。お土産屋さんなどはまだ朝の8時半ということで閉まっており、どこもシャッターを下ろしていた。
8分ほど歩いたところで交差点を右に折れると、遠目に弥彦神社の大きな赤い鳥居を目視することができるようになる。しかしここからもまた遠く、いや実際は歩いて4、5分なのでそこまででもないのだが、朝からこの暑さが私の精神をすり減らしていき、実際歩いているより多くの体力を消耗していく。そんな中でたどり着いた弥彦神社、一礼をして中に入ると木陰に埋もれまるでオアシス・・・とまではいかず、セミの鳴き声があたり一帯に響き渡りより一層夏を演出してくるのであった。そんな弥彦神社はやはりまだ朝の早い時間ということで参拝客はそこまで多くなく、すれ違う人はまばらだった。
▲暑い中弥彦神社に到着
最初の赤い鳥居からしばらく歩いて左に曲がると、手水舎と白い第二の鳥居が見えてきた。手水で適当に手口を清めた後は鳥居をくぐり、本殿までもうひと踏ん張りというところ。木陰の恩恵ももはやそこまで得られず、滴る汗をぬぐいながら本殿まで歩くと、ついにその厳かな姿見を目の前に現した。
真正面から、そして若干斜めの角度からの2枚撮影したあと、本殿の賽銭箱に5円を投げてお参りする。私はこういうとき願掛けのようなもので御縁と五円をかけて5円玉を投げ入れることにしている、そもそも神社のお参りなんてそういうもん。この旅がよりよいものになりますように。
▲本殿
さて、これで神社のほうは終わり、ここまで駅からおよそ20分ちょい。まぁ多少歩くとはいってもこれくらいなら大した時間でも距離でもない。しかし問題はここからで、この弥彦神社、ロープウェイで上った先に展望台などを備えた施設があるのだ。もはやここからが本題といっても過言ではない。一旦赤い鳥居のある参道まで戻り途中の道を折れると、ロープウェイ乗り場へ向かうためのバスが出ている小さな広場のような場所にたどり着ける。ここは駐車場からくるほうが近く、そしてこのバスに乗ることでロープウェイ乗り場まで一気に行くことができるのだ。むろんバスに乗らなくても乗り場まで行けるには行けるが、このくそ暑い中いくらかの坂道を上るというのはとてもつらいものがある、ここはおとなしく文明の利器にあやかってバス+冷房のセットで少しばかりの休息とするのが賢い選択だ。そんなバスは毎時5分、20分、35分、50分と15分おきに出ており、ロープウェイ乗り場まではおよそ2~3分の行程である。そのためゆっくり涼む間もなくバスはロープウェイ乗り場に到着、バスの運転手にお礼を言って、再び蒸し風呂のような地上を這うことになるのだった。
▲ロープウェイに乗り込む
ロープウェイのほうはというと往復1500円、まぁ価格帯はおおよそ他のところと大差ない。弥彦の地名にあやかってか2台のロープウェイにはうみひこ・やまひこの名がつけられており、こちらも毎時0分、15分、30分、45分と15分間隔で出ている。バスを降りてチケットを買えば割とすぐにロープウェイに乗れるという、最近の若者のタイパとかいうやつに忖度したスケジューリングだ。25歳(当時)のおじちゃんにとってはよくわからない世界である。
ロープウェイは15人くらいの人間を載せ、山麓を出発し山頂を目指す。時速13キロでの運転だそうで、徐々に高度をあげていくにつれ眼下に越後平野の雄大な平原が姿を現す。ロープウェイの乗車時間はおよそ5分、ゴンドラ内は窓が開いており扇風機もうちわも完備されていたのでさほど暑さのほうは気にならずに景色を楽しめた。ゴンドラの内部はどうしても熱気湿気がたまりやすくなかなか苦痛な時間になることが多いのだがこういう配慮が行き届いているのはとてもいい。
▲弥彦山634メートル
さて頂上へ到着であるが、ここにはいくつかの施設がある。まずは展望レストラン、ここは9時半か10時からの営業で、朝いちばんのロープウェイで来るとまだ開店していないのでこれは後程訪れることにしよう。続いてクライミングカー、これは垂直方向に移動できる乗り物で、主にスカイラインの駐車場からレストランへ訪れる時、そして後述のパノラマタワーに訪れる時に使う。そしてパノラマタワー、これはゴンドラが上昇しながらくるくる回るので、椅子に座った状態で360度弥彦山からの景色を眺めることができるという代物である。これも探訪済みなので後程触れることとする。最後に弥彦山をさらに登った先にある御神廟(ごしんびょう)である。弥彦神社に来たはずなのにこんなに大量のレジャー施設が頂上で待ち受けているのだから世界は恐ろしい。
で、この時点で訪れることができるのは御神廟のみなので、まずは弥彦山のさらに奥を目指してみることとする。頂上に登ってきたのにさらに先があるとはどういうこっちゃという話なのだが、どうやらロープウェイで登った地点は真の頂上ではなく、この先15分ほど登った先にある御神廟こそ、真の頂上であるらしいのだ。一段一段は決して高くなくきつくもなく、逆に緩いほうの部類であるのだが、この暑さによるなんとも耐え難い苦痛がハイキングに勤しむものに容赦なく襲い掛かってくる。私とほぼ同じペースで登っていた工事関係者のようなおじさんたち3人組は私の背負うリュックに負けじと劣らない重たい荷物を持ちながら、非常に苦しい様子で山を登っていた。そう、ここはたくさんのテレビ局関係のアンテナが立っている、非常に重要な拠点でもあるのである。とはいえ御神廟はまだまだ先にあるので、疲れ果てたおじさんたちを横目に私はずんずん進んでいくのであった。
▲過酷な労働(右のおじさんの顔は塗りつぶしてある
真・頂上を目指すこと10分ちょい、道中やたら主張の激しいぶんぶん羽音を鳴らす虫などに出くわしたりはしたものの、なんとか無事到着。真・頂上でも見晴らしのよい場所があり、いくつかベンチが置かれているところからは先ほどよりさらに少しばかり高いところから越後平野を見下ろすことができる。ただ景色の内容としてはロープウェイの山頂駅から見える景色とさほど大差はない。でこちらの本題は景色ではなく御神廟のほうである。正面には白色の鳥居があり、ぐるっと一周できる広間の中央に御神廟が据えられている。ここのお賽銭はふたを開けて入れるタイプで、ここでもやはり5円を入れてお祈り。ここまできて神様を素通りするなんてそれこそ罰が当たりそうなものだ。ちなみにこの御神廟は地図上では長岡市にあたるが、住所的にはやはり弥彦村のものであるようだ。
▲平野を見下ろす
▲御神廟
すっかり汗だくになってしまった私は、ロープウェイ乗り場に戻ってきた後、開店したレストランでアイスを頼むこととした。下界より5度ほど気温が低いとはいえ、暑いものは暑いのである。ここは食券を先に買ってそれをカウンターに出すスタイルで、私はかき氷ソフトを頼んで外の日傘が建てられたテーブルにつきひとときの休息とすることとした。さて頼んだのはいちごのかき氷ソフト。たまにはかわいらしいものもありだと思って頼んだが、いやはや頭がキーンとする。味の感想よりまずそちらが出てくるのも致し方ないくらい一気にがつがついきすぎてしまった。しかし少しでも動いていると暑いが、逆にしばし休憩すると割と涼しいのがなんとも憎めないやつである。
▲次のターゲット
さて一休みしたところで、続いてのターゲットはクライミングカー+パノラマタワーである。この2つは下層で繋がっており、チケットもセットで750円(だったはず)とセット販売されている。クライミングカーとたいそうな名前はついているが実のところ「めちゃくちゃ急にしたケーブルカー」のようなものである、実際にどういう区分なのかは知らぬが。往復セット乗車券にはさみを入れてもらい、クライミングカーへ乗車。実のところこいつは特に主だった見どころもなく下層に到着。そしてそのまま内部で繋がっているパノラマタワーへ。本命はこちらのほうで、下降しきるのを待って扉が開けられ、降車を優先し私も乗り込んでみるとなんとも不思議な空間である、いうなればまるで何かの施設の実験体になったような気分だ、そんな摩訶不思議な空間がそこには広がっていた。360度ぐるっと回れる細い通路に、同じように360度備え付けられた椅子。独特な構造をしていらっしゃる。パノラマタワーは扉が閉まった後徐々に上昇を始め、それと同時に右回りへ回転も始めた。すると当然のごとく最初は見えなかった海がみえ、スカイラインが見え、越後平野が見え、そして再び海が見え、、、を繰り返すうちに徐々に高度を上げていき、最終的にはここいらで一番高いところから見下ろせるようになった。このパノラマタワーのいいところは最上部で3回転してくれるところで、1回転目はビデオで録画、2回転目は写真で撮影、そして3回転目は肉眼でばっちり記憶しておくというペース配分ができることである。この3回転というのがまた絶妙で、これ以上回っても徐々に飽きてくるだろうからいいところでの区切りなのである。このパノラマタワーからの景色はといえば、すっかり朝も終わり気温もあがったことから海の向こうに佐渡島が薄っすら確認できるようになった。スカイラインは車が豆粒のようになっている。そして本題の越後平野はおそらくここからの眺めが一番その平野っぷりを堪能できるであろうことは間違いない。パッチワークのように広がる田畑を思う存分堪能するとタワーは徐々にまた回転しながら今度は下降し、気づけばあっという間に地上に戻っていた。やはりなんとも形容しがたい不思議な体験であった、このパノラマタワーを体験するためだけに弥彦山に登るというのも悪くないくらい、面白い乗り物であった。
▲円形の展望台にて、支柱を囲むように椅子が取り付けられている
▲素晴らしい越後平野の眺望
時間もきたことから11時発のロープウェイに乗るため山頂駅へ移動。どうやら山麓駅のほうが満杯らしく臨時発車のため数分早く出発することになった。こちらは5人しか乗っておらずガラガラだったため思う存分下界を眺めることができ、改めて越後平野を堪能したが、途中すれ違った登りのゴンドラは案の定満杯であった。さすがは3連休の頭、人の数だけは立派なもんである。
麓に降り立ち、15分かけて弥彦駅に舞い戻ってきた私は、止まっていた列車に乗り込んで早速冷房の恩恵を受けるのであった。この列車は11時48分発の東三条行であったがそこまで行くと時間的に予定時間に酒田に着けなくなるので吉田で乗り換え、越後線で新潟駅を目指す。新潟近郊に近付くにつれどんどん車内は人でごった返すようになった、腐っても北陸最大の都市、そして政令指定都市である。
▲新潟駅で買ったお弁当を村上行の列車内で食べる
新潟駅には12時54分に到着、次の村上行を待機。村上行の出発時刻が近づくにつれ3番ホームはどんどん人であふれるようになり、13時41分ごろ、E129系の村上行がホームにようやく滑り込んできた。列車は15時02分村上駅に到着。16時20分発の酒田行の出発までしばらく時間が空くのでぶらっと村上市街を散歩したが、特に何もなかったのでここでは割愛。時間に合わせてホームに向かい、新型の気動車に乗り込む。2番線は松山駅よろしく新潟行の普通列車と酒田行の普通列車が並列に停車しており、なんとも珍しい(この駅にとっては日常?)光景が見られた。
列車は定刻通りに村上駅を出発し北上していく。夕日は角度的にちょっと見えづらく、また基本的にほとんど分厚い雲に隠れていたため夕焼けらしい夕焼けは拝めず、あつみ温泉、鶴岡、余目と北上していくにつれてどんどん暗くなり、酒田駅に着くころには真っ暗になっていた。
▲夕暮れの羽越本線の車窓
駅前のビジホにチェックインし、お風呂とコインランドリーでの洗濯を済ませ、私は夜の酒田に繰り出す。ご飯にありつければ最高だったが夜の8時ともなればもうほとんどのお店は店じまい、居酒屋には1人で入る気分にはなかなかなれず、結局酒田の倉庫まで歩いたがどこのお店にも入ることはできなかった。しかし酒田の倉庫のライトアップはその疲れを吹き飛ばしてくれるくらいには美しいものであった。ライトアップ自体は普遍的なものではあったが、やはりそれが倉庫を下から照らすというのがまた風情があってよく、2年前に訪れた京都宇治の燈籠の道を思い出させてくれる絢爛さであった。また燈籠に彩られた橋から眺める倉庫もまたよく、なんとも雅な光景が広がっていた。ライトアップ、やはりいいものであるな・・・。
▲酒田の倉庫
▲和を感じるいいアングル
旅も5日目を迎え、旅も後半戦となる。今日はあまり大きなイベントはなく、由利高原鉄道の乗車がメインだ。朝8時に起床しホテルの1階にある魚民を間借りする形で行われるバイキング朝食を頂く。場所が場所だけにものすごい豪華な雰囲気で、まぁご飯の内容自体はそこらのビジネスホテルのバイキングとたいして変わらないのだが、その格式の高さがゆえにご飯も一層美味しく感じられた。
9時過ぎにチェックアウトし酒田駅へ向かう。この日は基本雨予報で天気の回復が見込めない予報であったが、少なくとも私がホテルを出たときは晴れ間がわずかながら覗いており、おやおやまた晴男むーヴかましちゃったかぁ?などと思ったものだ。
▲酒田駅にて
列車は9時44分酒田駅を出発。乗車率はロングシート1つあたり1~2人程度とかなり低めであった。酒田駅を出たころは少し青空が見えていたもののそれもすぐに厚い雲に隠されてしまい、遊佐、象潟、仁賀保と北上していくにつれて徐々に雨も降り始めるようになってきた。列車は羽後本荘に近付くにつれ徐々に乗車率を高めていき、10時48分羽後本荘駅に到着。ここでの乗り換え時間は比較的タイトで、7分の間に有人改札で下車印をもらい由利高原鉄道の改札で切符を買って4番線に移動しなければならないというものであったが、意外と難なくクリア。7分、新幹線乗り換えだとほぼ確実に難しいがやはり在来線乗り換えであれば比較的余裕をもって乗り換えられるのは嬉しい。とはいえこのときの私はまだ乾ききっていない下車印が押印された切符、由利高原鉄道の1日フリーパス、そして財布となんやかんや色々持っていたのでそちらのほうがせわしなかった。ちなみに矢島までは610円で往復だと1220円だが土休日に発売されるフリーパスだと1100円となりちょっとお得なのでこちらを買うのがよい。さてやるべきことを済ませ3・4番線に降りると、真っ黒な気動車が1両止まっていた。この時間帯は「まごころ列車」と題して、アテンダントが乗り込みちょっとしたイベント列車風なおもてなしをしてくれるのだ。車内の配置もまさしくイベント列車用に彩られたもので、ロングシート上の椅子の前には等間隔に2人用の机が配置されている特殊な構造となっている。
▲由利高原鉄道
由利高原鉄道のまごころ列車は10時55分、羽後本荘駅を出発し、23キロ40分の短いローカル線の旅へ向けて足を滑らせ始めた。早速アテンダントのおねえさまが、由利高原鉄道についての解説を色々とし始める。車両や景色についての紹介が多めで、特に景色についてはやはりここいらでは一番の有名人である鳥海山の話がかなりの割合を占めていた。しかし今日は天気が悪いので鳥海山はほとんど見えず車窓の見どころは専ら田畑、この佐々木さん的な言い方をすれば目に優しい色の田んぼに絞られるというところであった。途中田んぼアートや最小の待合室など見どころとして解説頂くところもあったがことごとく進行方向右側に位置しており、左側に座っていた私はカメラに収めることができず・・・なんとも悲しいことである。
▲田んぼの景色、水害から復興した
▲矢島駅、かかしが立ち並ぶ
終点の矢島駅は駅の内部に由利高原鉄道の本社の機能を備えており、小さい駅舎の中は様々な施設がひしめきあい高密度になっていた。そして少々時間が空くので、ちょっと矢島の小さな町をぶらぶらしてみることにする。ひとまず駅を出てまっすぐ進んでから左、右と折れ、一番大きいストリートであろう坂道を登っていく。街歩きの達人ならばこういうとき小さな発見から写真の題材になるような場所を見つけていくだろうから、私もその気分になって色々見渡しつつ映えそうなところを探して写真に収めていった。
▲街歩きの天才になりたい
13時55分、汽車は羽後本荘に向けて出発。復路は眠気がピークでほとんど眠ってしまっており、せっかく進行方向左手を取ったのに往路で撮り逃したあれやこれやを1枚も撮れずにターンエンド、全く阿呆の極みである。そしてこの列車はなんと羽後本荘駅で直接接続する列車がなく、1時間の待ちぼうけとなる。もう少しうまく予定立てられなかったのかと自分であきれてしまうが、当時の私が頭を捻って出した予定がこれだった以上、おそらくこれ以上のものはなかったのだろう、そう思うしかあるまい。おまけに羽後本荘駅周辺では小雨が降っており、駅前にタクシーも止まっていなかったことからまじでやることがない人になってしまった。こういうときは大人しく待合室でぽけーっと時間が過ぎるのを待つしかない。まぁこういうときもあるさ、この日はそういうのんびりした日だったということにしよう。
15時48分、秋田行の列車が出発。私は海が見えないほうのロングシートに座ってしまったのでここは大人しく不貞寝することにした。秋田に近付くにつれ徐々に車内は混雑し、秋田の直前の羽後牛島駅では多くの人が乗ってきた。16時36分、秋田駅に到着。去年に引き続き2年連続3回目の秋田となった。秋田駅の改札口のところにはやはり秋田犬となまはげが圧倒的な存在感を見せていた。
▲秋田駅に鎮座する秋田犬
ホテルにチェックインし少々散歩をしたのち、夜の秋田の街を練り歩く。居酒屋などは比較的埋まっており、というかそもそも根本的にディナーが食べられるお店自体があまりないのだが、駅前まで戻ってくるとデパートの地下にレストラン街があるのを発見。そこの「そば一」さんがめちゃくちゃ空いていたので、他のお店のメニューと吟味しつつ、ここで取り扱っているきりたんぽせいろに惹かれ入店。待つこと10分ほどできりたんぽせいろが出てきた。いつものそばつゆで嗜むタイプとはちょっと違い、このきりたんぽのお湯の中に蕎麦をくぐらせるタイプである。蕎麦はそのまま食べると固くあまり味がしないが、ひとたびお湯の中にくぐらせるとあら大変身、一瞬で柔らかく味のしっかり通った麺に。きりたんぽのほうはどうかというと、野菜類はもちろんそのまま美味いのだが、それらをかき分けてみるともち米が4つ入っており、これがまたよく味がしみ込んでいて美味いのだ。大盛を頼んだため超満腹になってお店を後にした。ここまで食べたのは案外久しぶりかもしれない。
▲きりたんぽ+お蕎麦
5日目の旅路はここまで、そして男鹿半島へ乗り込む6日目を迎えた。今日は天気予報の通り快晴である。カーテンを開けて飛び込んできたのは真っ青で雲一つない秋田の秋空であった。この日は秋田県からは出ず、男鹿半島を適当に周遊し、宿を取ってある能代に移動して終わるという旅程だ。まずは男鹿半島へ移動するため、秋田駅の1番線にやってきた男鹿線に乗り込む。男鹿線の車両はEV-E801系というやつで、こいつはなにもんかというと蓄電池式の車両なのだ。なので電化区間も非電化区間も走れる優秀なやつである。車内が全部ロングシートなのは気に食わないが。ただこっちは701系も含めロングシートなのに人口が多いはずの新潟のほうはロング+ボックスなのは、やはり鉄道の利用率の問題なのだろうか。まぁこっちは2両でむこうは4両とか6両とかだから単純な比較はできなさそうだけど。話をこの車両に戻すと、この車両は赤と青の2両編成となっており、これは明らかになまはげを意識したものになっている。側面の先頭方向にはOGAの文字が書かれており、このプリントもまたこの車両の特色といえるだろう。
▲男鹿線の車両
9時24分、定刻通り、秋田駅を出発した。この路線に乗ってみて驚いたことが2つある。まずは追分駅を出て男鹿線に入ってから男鹿駅に到着するまでが意外と時間がかかること。確かに時刻表上でも1時間かかることになっているが、男鹿線内も普通に高速で走行しているにも関わらずかなりの時間を要したのは、男鹿半島が意外に侮れない大きさをしているからに他ならない。そして2つ目が、この車両内では運賃を回収していないこと。つまり下車した駅で乗客が運賃箱に運賃を入れてくれるであろう、という完全なる性善説のもとで男鹿線は運用されているのだ。これは果たして大丈夫なのだろうか・・言ってしまえばキセルし放題なのである。よいこのみんなはちゃんと運賃を払おうね。
▲終着駅の景色
列車は10時16分、男鹿駅に到着。降車したのは20人ほどだったと思われるが、この時間にしてはまぁまぁなほうではあるか。窓口で下車印をもらい、「なまはげシャトル」の乗り場を探す。今回この男鹿半島を巡るにあたって、なまはげシャトルという前日までの予約制の相乗りタクシーを予約しておいたのだ。予め指定された区間を走行するタクシーで、バスよりはさすがに高いものの、運賃が1100円から2500円と、タクシーにしては破格の金額で男鹿半島を回ることができる。そのなまはげシャトルに乗って、まずは男鹿駅から真山(しんざん)にあるなまはげ館へ向かうのが最初の旅程だ。とはいえ最初はあまりに普通のタクシーで、ぱっと見でそれがなまはげシャトルであるということがわからなかったが、近づいてみるとタクシーの運転手のほうから出てきてくれ、予約者名簿との照合を実施した。男鹿駅から真山までは1100円、乗る前に払うタイプである。相乗りタクシーということで、もう1人見知らぬ人が乗ってくるようだった。そして乗ってきたのは行き当たりばったりの旅をするおじいさん、どうやらつい先ほど予約してこのタクシーに乗ることになったらしい、まさに一期一会の極みだな。
タクシーはさっそく真山に向けて出発。真山へは男鹿駅から約20分のところにある。車で20分だから結構な距離である。やはり男鹿半島、でかいな。それはそれとして、相乗りしてきたおじいちゃんがまぁしゃべるしゃべるw ずっとしゃべっていた。私は基本ほとんど聞き専で、何の話をされていたかといえば、世代間ギャップに通じるコミュニケーションの難しさとか、まぁ端的にいえば最近の若いやつはなぁみたいな話であった。私も若いやつなんだけど私がだいぶ聞き上手なおかげでかなり心地よくぶちまけてくれたようだ。
▲真山に到着
さて定刻より少し早く、私たちのタクシーは真山エリアにあるなまはげ館の目の前に到着。乗ってきたおじいちゃんはこのあとの6便のタクシーで帰るよう促されていたが、行き当たりばったりじいちゃんなので本当にその通りに動くかは全く不透明であった。それはまぁおいといて、タクシーの運ちゃんいわく、なまはげ館はなまはげ伝承館を併設しており、伝承館では実際になまはげが大晦日にやってくる様子の再現を演じてくれるというが、時間制のため先に優先して並び、余った時間でなまはげ館を見て回るとよいとのことであった。そういうプチ情報、非常に助かるのだ。
というわけで私は、というかおじいちゃんもくっついてきて私たちは伝承館のほうへと並んだ。並んですぐ、チケットを持っていない方はチケットを購入してくださいのアナウンスが入ったので、伝承館の入り口右手のカウンターで、1100円で伝承館+なまはげ館のチケットを購入。その後前の演舞のターンが終わるのを待ち、そのターンのお客が出てくるのを待ってから、私たちも中へと案内される。中は薄暗く、外靴を脱ぐところが4か所に分かれており、適当なところで靴を脱いで中に入ると奥の間へと通され、入り口側を向いて座るように促される。なるほど、この中央の囲炉裏がある間になまはげがやってくるようだ。その後11時をまわったところで奥の部屋から語り部の緑の着物を着たおばあさんがやってきて正座で座り、なまはげのことを話し始めた。囲炉裏に長くあたっていることでついてしまう怠けの穢れを払うからなまはげというのだそうだ。語り部の数分間の話が終わると、先ほど案内していた男性がこちらも正座で座り、いよいよなまはげがやってくるということでいくつかの注意事項を話された。
▲ここで演舞が行われる。
なまはげがやってくる前にまず部屋に入ってきたのは、この部屋になまはげが入ってくるが大丈夫か聞く係である。というのもその年に人が亡くなったりした家ではなまはげの行事はやらないことになっているらしく、そういうのがないことを確認してなまはげを通しても大丈夫かどうかを確認するのがこの担当の役割というわけだ。で、なまはげを通しても大丈夫なことが判明すると、一瞬の静寂ののち、突然大きな音が鳴り響き、私含めその場にいたおそらく全員が思わず肩をびくっとさせ、居合わせた子供たちもいきなりの出来事になにがなんだかわからず急に泣き出す始末であった。そして大きな音のあとは四股を7回踏む音が家中に鳴り響き、勢いよくふすまが開けられなまはげが2体家に入ってきた。その特徴的な仮面やいでたち、子供たちを恐怖に陥れるその恰好、まさしくこれまでテレビなどでさんざんみてきたなまはげそのものであった。なまはげはその勢いに圧倒され泣き叫ぶ子供たちのことなど意にも介さず私たち観衆の周りを何周かし、子供たちを驚かせたり家の柱を叩いたりして驚かせたりとそれはそれは阿鼻叫喚な様子であった。
▲演舞の様子
一通り落ち着いたところで奥から先程の緑の着物のおばあさんがやってきて、食膳をなまはげの前に並べる。おそらく食品サンプルなのだろうけれどもまぁよくできた膳だ。なまはげは利口にその前に胡坐で座り、家主を演じる男性と相対する格好になり、お辞儀を合図に問答が始まる。問答といっても内容は単純で、この家の子供や嫁が怠けていないかをなまはげ台帳なる不思議な手帳で1つ1つ問いただしていき、家主がそれらをなんとか庇ったり酒を注いだりしてなだめたりと、まぁコントのようなものである。言葉は秋田弁が主体で完全に把握できたわけではないがそれでもニュアンスは何となく伝わり、聞いているこちら側からも時々どっと笑い声が湧く場面が何度となくあった。話の内容はそれくらい比較的面白いものであった。10分の押し問答の後、四股をまた何度か踏み、私含めて何人かの肩を揺らしたりして怠けていないかみたいなことを確認してから、なまはげたちはふすまから出て行ったのであった。このなまはげたちの迫力、是非現地で体感してみてほしい、きっと満足するはずだ。
▲演舞の様子2
そんな満足感に浸りながらなまはげ館のほうへ移動し、なまはげに関する展示を眺めてみた。なまはげの歴史や研究などがパネルで展示されておりこのあたりはまぁどこにでもある資料館といった具合なのだが、驚いたのはなまはげが大量に展示されている最後のフロアであった。なまはげは仮面の作り手により様々な顔になるのだが、それが何十体と並ぶとなかなか壮観であった。この大群が本当に山から下りてきていたら世界はもっと平和だったに違いない(実際は町の若い男たちがなまはげに扮しているだけなので本当にただの行事に過ぎない)。
▲集落ごとに面の異なるなまはげが展示されている
12時07分ごろ、やはり少し早めにタクシーがやってきて、前金1600円を支払ってタクシーへ乗車しなまはげ館を後にする。相乗りということで中には綺麗な女性が先客として右側に座っていた。こういう女性はちょっと苦手意識があるので、この人が男鹿の水族館で降りるまでは私は肩を小さくして縮こまっていた。その水族館では、降りた女性と入れ替わりに今度はおばちゃんが乗ってきた。相乗りタクシーの本領発揮といったところだろうか。ちなみに先程のタクシーで相乗りだったおじいちゃんは、なまはげ館で通り過ぎるところまでは見かけた、そのあとどうやって駅まで戻ったのかなどの消息は不明である。
12時43分、タクシーは入道崎へ到着。定刻より10分ほど早い到着で、とはいえそれでもなまはげ館から(水族館を経由したとはいえ)40分かかっているので、やはり男鹿半島、かなりのでかさである。そして入道崎、めちゃくちゃ天気が良く、風もほどほどにあったため、直射日光もそこまで気にならないほどにはここ数日と比べると涼しかった。この時期までたくさんちょうちょが飛んでいること自体もしかしたら普通ではないのかもしれないが、それでも着実に秋を感じさせる気候にはなっているようであった。
▲入道崎に到着
さてそんな入道崎であるが、まず目に入ったのは黒と白の灯台。まずはこれを目指すことにする。中へは登ることができ、300円で中に入れる。薄暗い内部はいかにも灯台という雰囲気で、ただずっと一定方向に登り続けるため頂上まで行くと少しばかり目が回ってしまった。しかしそれをも簡単に吹き飛ばすほどの、頂上デッキからの入道崎の絶景!どこまでも青い空、青々と茂る草木、人の営みが感じられる食堂、そして彼方まで広がる水平線。地球のロマンがすべて詰まっているかのような美しい光景が広がっていた。
▲絶景!
そろそろ飯にありつくことにするので散策を切り上げ、食堂方面へ。食堂が6店くらい並んでいるのでどれにするか悩むかと思ったが、一番最初に訪れた場所がなかなか空いていたのでこれはチャンスと思い「なまはげ御殿」へ突入。奥の食事場へ入るまえに注文を済ませるタイプで、親子丼(鮭といくら)の2200円のどんぶりを注文し、靴を脱いで奥の座敷へ入り一番奥の席へ着席。こういう食堂は雰囲気がまたよく、多くの著名人が訪れた痕跡である写真やサインが壁中に所狭しと展示されていた。
待つこと僅か3分ほどで海鮮丼が到着、海鮮は揚げたりする必要がないので出てくるのが非常に早く助かる。鮭もいくらも非常に美味で、さすが海辺の食堂というだけのことはあった。どんぶりを食べ終えるとなまはげの顔が登場、さすがこういうところも凝っているぜ。そんな食堂はたくさんのライダーたちでいつの間にかかなりの盛り上がりを見せ、かなりの人数となっていた。これは早めに入る選択をして正解だったようだ。
▲海鮮丼の定食
もう1周入道崎を観光し、やってきたタクシーへ乗り込む。前金2500円を払い男鹿駅に舞い戻り、次の出発まで時間もあったので道の駅や風車などを見て回り、15時38分、男鹿駅を出発。今日は秋田の千秋公園で花火があがるため徐々に列車内は混み始め、私が土崎駅で降りるころにはさながら朝の通勤ラッシュ、、、とまではいかないけど、なかなかの混み具合であった。
土崎駅で下車し目指すのは、12年前の父・弟との旅行で訪れたポートタワーセリオン。土崎駅をカメラに収め、道中こんなんだったけなぁなどとぼやきながら、およそ20分でセリオンに到着。玄関口に出ていたアイスの屋台やキッチンカーなどはもう店じまいを始めていたが、夕日の時間ということでセリオンへはかなりの車の台数が止まっていた。エレベーターで5階の展望室へ上がる、4階のカフェで食べたタルタルソースのかかった白身魚が今でも忘れられないのだが、カフェは14時或いは16時で閉まってしまうためこの日はそれにはありつけず。まぁこれは予め分かっていたことなのでそこまでのがっかり感はない。
▲ポートタワーセリオンへ
夕日を一番いい角度で見れる特等席に陣取り待つこと40分、徐々に夕日が雲の下から現れてきて日本海とその空を鮮やかなオレンジ色に染め上げた。17時47分日の入り時刻となり、太陽は水平線に徐々に沈んでいき、風車とのコラボレーションも魅せつつ最後は多くのギャラリーに惜しまれながら9月16日の終わりを告げるのであった。しかし夕焼け自体はここからが本番。1階に降りてセリオンとともに夕焼けを撮り、そして秋田港と夕焼けの最高のコンビネーション、これほどまでに美しい夕焼けを私はおそらく旅行先で見たことがないくらいには、艶やかで美麗な夕焼けを拝むことができた。ごちそうさまでした。
▲人生史上最高の夕焼けの瞬間
秋田行の列車に乗り込み、秋田駅の直前では花火が打ちあがる様子が車窓ごしに見えるなどサブイベントも充実した6日目。秋田駅のロッカーに投げてきた荷物を回収し、18時35分発の大館行に乗り込んで東能代駅で降り、能代行の五能線に乗り込んでこの日はターンエンド。実のところ通信制限でホテルまでたどり着けないのではなどとちょっとやばかったのはここだけの話。まぁ駅前にタクシーが止まっていてホテル名を告げるだけで連れて行ってくれたので助かったのだが。
さて、本来ならこのあと五能線に乗り、津軽にある高山稲荷神社に行ったことをつらつらと書き連ねる予定だったのだが、時間的都合でちょっと厳しくなってしまったため、高山稲荷神社の写真だけ載せて今回はこれで締めることにする。
▲五能線の車窓
▲高山稲荷神社
ちょっと雑な終わり方になってしまったが、ここまででもだいぶん長い旅行記になってしまったので今回のところはこれくらいにしておこう。ちなみにこの旅の最後は津軽から八戸へ移動し、フェリーで苫小牧へ、そのまま仕事へ直行した。次回どこを取り上げるかは未定だが、美作の旅か、アルペンルートの旅かのどちらかになるかなと考えている。それではまた次の旅でお会いしましょう。
mao