2015.03.10
S

明日で4年目ですね。

はじめまして、昨年末から勤務しているSと申します。

明日で東日本大震災から4年が経ちますね。
わたしは札幌出身ですが、去年の春まで東北の大学に通っていました。
直接被災した訳ではないのですが、東北に住んでいた者として
その後の東北のことを少しここに書きたいと思います。

震災の時は帰省中で札幌に居たのですが、リアルタイムで流れてくるテレビの映像を見て、
友達の誰かが亡くなっていてもおかしくないと感じていました。
幸い、わたしが通っている学校で亡くなった方は一人もいなかったのですが、
津波で家が流されてしまった方や、原発の影響で家に帰れなくなってしまった方は何人もいます。

また、仙台空港が津波の被害で使用できなくなっていたため、
春休みが終わって大学のある山形市に戻る際は、一旦飛行機で東京まで行き、
そこから夜行バスに乗り換えて、山形に入りました。
それから5ヶ月ほどが経ち、夏休みに再度帰省する時は、仙台空港は使用できたのですが、
空港に通じる唯一の線路が津波に流されてしまっていて部分的に復旧しておらず、
街灯の無い真っ暗な道を代替のバスで移動して空港に着きました。

被災地の復興は進んでいる、いや進んでいないという情報が錯綜していますが、
復興しているところは一見何事もなかったかのように復興しているし、手付かずのところは
倒壊した家が撤去され、不自然な空き地のままになっていて、実際はどちらも正しいと思います。

気仙沼1

気仙沼1

この写真は、2013年の9月に宮城県の気仙沼に行った時のものです。
海側を背にして撮ったもので、海から奥に見える山まで平地が続いているのですが、
もともと、山のふもとが見えないくらい家がびっしり建っている住宅地で、商店街などもあった場所です。
写真を撮った時点では、山のふもとのちょっと高くなっている場所以外の家は全て
津波の被害に遭い、基礎だけを残して取り壊されています。
どこまで行っても、かつてそこに家があった四角いコンクリートの枠があるばかりでした。

気仙沼2

気仙沼2

こちらは住宅地を背にした、海側です。
巨大な防潮堤が津波に押し流されて壊れているままです。
とても穏や かな海が遠くまで見渡せたのですが、津波が入ってきたのはこの湾でした。
数年後、ここに高さ10メートル程の、更に巨大な防潮堤を建てる計画があり、
遠くの海を見ることはできなくなってしまうそうです。

わたしは美術の大学を出ているので、最初は絵をブログに載せる予定でいましたが、
この日にわたしがブログ担当になったのも何かの縁、こちらを伝えるべきだと感じました。
また次回、ブログ担当が回ってきたら、絵を載せたいと思います。

山形

山形

最後に、去年の春の山形です。
霞城(かじょう)こと山形城は桜の名所で、春は霞城公園で桜を眺めながら
醤油にイカゲソを入れて煮込んだ「玉コンニャク」を食べるのが山形市民のデフォルトだず。
あー玉コン食べたいずー。山形さ来たっけから、芋煮さ食ってけはー。
最後にもう一度書きますが、わたしは札幌生まれ札幌育ちです。

S

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