写真はフェイと呼ばれる石で出来た、ヤップ島で使われていたお金です。
20世紀の初頭にヤップ島を訪れたアメリカ人の冒険家ウィリアム・ヘンリー・ファーネス3世は、奇妙な通貨が流通していることを発見しました。ヤップ島はわずか数千人が住む島で、主な産業は魚、椰子の実、ナマコしか取引されなかった。ファーネスは物々交換しかないと想像していた。
石貨は基本的に大きな重い石貨が価値が高く、また表面がきれいなものほど高いという仕組みになっていました。島の中では、頻繁に通貨を用いた取引は行われていましたが、石貨は滅多に移動することがありません。最終的には取引は相殺されて、最後に移動するのです。非常に大きな石貨になると、実際の所有権が移動するだけで、そのままの位置に置かれたままになります。
この石貨となる結晶質石灰岩(大理石、アラゴナイト、炭酸カルシウム、霰石)はヤップ島では産出せず、約500km離れたパラオから運ばれた。ヤップ人はカヌーの船団を組んでパラオに航海し、パラオ人との交渉を通じて石を採掘する許可を得た。石斧などで何か月もかけて石貨を切り出し、いかだに乗せて持ち帰った。これらの航海には危険が伴い、多くの者が亡くなった。その苦労度が高い石貨ほど値うちがあるものとされる。
— Wikipedia 石貨
ビットコインはこの石貨に似ています。それ自身に価値があるわけではありません。構成員が価値があると思っているから、価値があるのです。また所有権が社会の構成員に記憶されているという点も、ネットワークの海のなかで、分散して所有権と履歴を保持しています。
翻って、昭和43年に函館市志海苔町の道路工事に伴って、室町時代の古銭が37万枚のあまり発見されます。この大量の古銭を分析したところ、大半が明・元などの中国から渡来銭でありました。確かに和同開珎などの国産の銭にもあったのですが、このころは銅の地金を輸出して中国から銭を輸入してたといわれています。
経済評論家の上念司氏によると、このころの日本は貨幣経済に移行していたにもかかわらず、中国との関係が良くなくて、貨幣の輸入が滞っており、デフレ気味であったされます。中世以前は公地公民であり、土地はすべて国家のものとされましたが。墾田永年私財法によって、開墾した土地は私有が認められました。このため荒地が開墾されるようになって、生産力が向上しました。
上念司氏によると、このため経済的に騒乱状態になったと述べています。(「経済で読み解く織田信長」)
20世紀の後半になってドルと金の交換停止によって。世界の通貨は「管理通貨制度」に移行しました。管理通貨制度は、中央銀行が何の裏打ちもなしに通貨を発行することが出来るというシステムです。このシステムは、信用収縮による恐慌を食い止めることができますが、野放図な通貨発行が行われれば、インフレが加速するという面があります。
ビットコインは、野放図な通貨発行が行われる「管理通貨制度」に対するアンチテーゼと生まれました。通貨発行量をマイニングという仕組みで発行量を押さえ込むことで、インフレ(通貨の価値が下がる現象)を抑えようというものです。
しかし通貨発行量が抑えられてことにより、通貨の価値が極端に上昇する(デフレ)という現象が起きます。実際にはデフレというよりは、ビットコインバブル(ほかの通貨から見ればバブル)が起きているといえます。ビットコインは、ビットコイン自身に価値がなく、市場の信任だけ価格が決まるという意味では、チューリップバブルに近い動きかもしれません。
yna