2010.03.02
社員R

プロテスタンティズムの(以下略)のこと

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プロテスタンティズムの(以下略)

今回もまた読書感想文を書こうと思います。

プロテスタンティズムの(以下略)・・・ ぁぁ、正式な題名はあまりに長すぎて忘れてしまいましたが、この本は20世紀初頭ドイツの社会学者マックス・ヴェーバーさんが、どうも身の回りの資本家とか熟練労働者はプロテスタントが多いような気がするんだけど、ひょっとしてプロテスタントって近代資本主義の形成に大きな役目を果たしてんじゃね?という内容の論考です。

いわく、簿記を土台とした合理的運営及び徹底的利潤追求という特徴を持つ近代資本主義の萌芽は、営利追求に対して寛容な社会においてではなく、逆にそれがことさらに厳しいプロテスタント国家に見られているという事実に対し、プロテスタンティズムの禁欲的姿勢が近代資本主義を生み出したという逆説的な見解を綴っているこの本は、現代にいたるまでに多くの反論を生み出すに至りながらも高い評価を受けている、らしいです。あんまし詳しく知りませんが。

その内容はといいますと。

16世紀、マルティン・ルッターさんが口火を切った宗教改革運動は、プロテスタントという宗派を生み出しますが、ルッターさんの「聖書のみ」という主張を、さらに先を行った宗派がジャン・カルヴァンさんの主張した俗にカルヴィニズムと呼ばれる宗派になります。カルヴァンさんは、「聖書のみ」程度の主張では飽きたらず、世のキリスト者を絶望の淵に突き落とす「予定説」というキチピーじみた主張を展開します。いわくそれは、罪を償おうが何しようが、神の国に行けるもの、救われるものはすでに決定されており、どーあがこうがそれは変えられないという苛烈を極めた内容でした。カトリック教会の場合、各地の教会を回って免罪符のスタンプラリーをやっていれば神の国には行けることになっていたのですが、そんな温いのじゃ許せんと、一気に難易度を引き上げてしまったのですね。プロテスタントとはハードコア志向なのであります。

キリスト教徒にとって、来世で神の国に行くことは最重要の関心事であり、それが否定されることとは文字通り死より恐ろしいことだったのです。藤沢とおるの漫画に出てくる先生が「俺のクラスにクズなんていねーんだよ!」といくら熱血したところでダメなもんはダメ、それが予定説なのでした、ぁぁ、ひどい。しかもこのひどい話をはじめた当のカルヴァンさんは、自分は絶対救われていると確信していたというのですから、もうコイツ最悪ですね。

さて、この予定説を言い渡された当時のキリスト教徒が、それに対してどのように向き合ったかというと、最終的に「自分は救われている」と信じることにする、という解法に落ち着いたのでした。まあそりゃそうです、そうしなきゃ生きていけませんから。

さて、救われているとの確信、「救いの確証」を得るためにキリスト教徒はどうしたでしょうか。もう救われてるんだから、自由気ままに暮らしたかというとそうはならず、自分が救われているということを証明するために何かしなければなりません。とはいっても何をしましょうか。そこでプロテスタント宗派は「天職」という概念を生み出します。すなわち世俗的職業に禁欲的にひたすら打ち込み、職業で成果をあげる活動は、神の栄光を増すことにつながると。禁欲的行動はカトリックにも存在していましたが、それはあくまでも修道院の中、つまり世俗外にとどまっていたものだったのですが、プロテスタントの天職概念はこれを世俗内に持ち込みました。それまで修道士の専売特許であった禁欲的行動を身につけた一般労働者は「救いの確証」を得るためがむしゃらに働き始めます。働くと当然お金が貯まってしまうのですが、これに手をつけて享楽的生活を送るとこれまた「救いの確証」が揺らいでしまいます。だから貯めるひたすら貯める。禁欲的プロテスタンティズムを体現した実業家はどんなに裕福になっても質素な生活を好んだといいます。じゃあ貯めたお金はどうするか?事業拡大へ投資するのです。事業が成功することは神の栄光を増す行為なのですから。こうして一生懸命働いてお金を貯めて、貯めたお金を事業拡大に投資し、というサイクルはやがて近代資本主義の萌芽となったのでした。

以上がこの本の大雑把な説明です。

この本を読むまで、私はプロテスタントというと免罪符を売らないキリスト教くらいにしか思ってなかったのですが、そんなあまっちょろいものではなかったのですね。とにかく苛烈でハードコア、特にカルヴァンの予定説なんて、なんでこんなものが当時の民衆に受け入れられたのか理解に苦しみますが、それだけ当時のカトリックの腐敗がひどいものだったということなのでしょうか。カルヴァンの予定説は、トリエント公会議においてスパッと排斥されますが、私は当時のカトリック最高会議の決定を全力で支持します。

また、私はヴィクトリア朝において貧民救済院が、路上生活者が入所を断固として拒む強制収容所のような施設に成り果てていた事実を長く疑問に思っていたのですが、カルヴィニズムの苛烈さを知って理解できるようになりました。ついでベンジャミン・フランクリンについて、なんで凧あげただけの人が100ドル紙幣に収まっているのか疑問だったのですが、これも本書の冒頭で紹介されている「若者よ時間はマネーなんだぜ」の教えを読んで完全に理解できた次第です。ヤングパーソンズガイドトゥ蓄財を広く説いた人だったのですね。

という具合に、主論考の面白さはもちろんのこと色々な疑問解消に役だったことから非常に楽しい本でありました。

100年前のドイツ人が書いた本と言うことでかなり身構えて読み始めたのですが、実に読みやすい訳ですらすら読めました。訳者の大塚久雄氏は素晴らしい仕事をしていますね。

さて、私もそろそろ神の栄光を増すために、世俗的サーバー監視業務の遂行に邁進したいと思います。

(社員R)

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