2016.03.22
DH指名打者

ラジオ

DH指名打者です。

デザインの部署に所属していますが、技術的なお話しなんて一切しないです。
お願いですから帰ってください。これ以上先は読まないでください。
訳ありで最後のブログになるので長文でだらだらとどうしようもないことを書いてやります。
お願いですから帰ってください。これ以上は時間の無駄です。

それでも読むという暇な人のために。

今年のスタートの話ですが、大体年の瀬に散髪するじゃないですか。なんの儀式かわからないですけど、年の瀬でも明けでもどちらかで切った人って多いと思うんですよ。
私もそのくちでして、髪を切ろう。と決意していました。そんな今更なお正月のお話しです。

散髪くらいで決意なんて必要かどうかって聞かれても知りません、私は必要なんです。
私の場合札幌に住んでいますが、髪を切ってくれる知り合いの少年が札幌にいません。よって結構気合い入れて髪を切ろうと決意しなければ切れないです。いつまで経っても、もっさりしてます。

「札幌で切ればいいじゃん」っていう意見は散々聞いて、札幌では切りたくないっていう説明も嫌になるほど散々してきましたのでしたくないです。だからしません。

とにかく、札幌では切りたくないんです。

よって地元にいる知り合いの少年のところまでちょっと気合い入れていくわけですよ。といっても地元なんでお正月に髪切ろうってなればついでじゃないですか。そんなに面倒くさくないんですよ。今回は特別なんです。正月とカットが同時に来たような、というか来た日なわけで。

そんなこんなで知り合いの少年の2015年最後の客となることになりました。予約した時間がお正月営業によって少し閉店が早いとのことで31日15時。
丁度いいくらいの時間です。

しかし、年末って忘年会とか同窓会的な、なんか知らないですけど懐かしい顔ぶれが凄い集まる時期です。30日の夜も、もれなく飲みに行ってもれなく朝まで飲んでて、帰ってきたらもれなくさみしい顔している両親。ということでそのまま朝から寝ずに親と飲むわけですよ。もれなく。

そんなことをして昼前くらいに軽く寝ないと。と思って寝ました。

案の定です。17時でした。知り合いの少年に電話しまして。
「明日か明後日に切ってくれよ。ごめんよ。」
「三が日休みだから難しい。」
ここで切らなきゃ一生切れないのに!?

髪を切るのも男子たるもの命がけと覚悟していたのに、ふたを開けたらそんな覚悟は私にはなかったんです。寝坊して知り合いの少年に迷惑をかけて年末を終えることとなりました。
運よく年末だったので嫌なことはトイレに小の方で流して年明けを迎えることにしました。

と。ここまでが年末年始の髪切り事情です。札幌の美容院では髪を切らないと決めているので自宅にて髪を自分で切る屈辱。お金のなかった中、高校生時代じゃないんです。おっさんに片足突っ込んでるくらいのいい歳した男が自分で髪を切るなんて屈辱以外の何物でもなかったです。

そんなこんなで耐えること2か月。再びチャンスが訪れました。それが2月末です。
年末の反省を活かすべく前日は地元にいるにも関わらず酒も飲みませんでしたし、誰とも遊びませんでした。
友達いないだけでした。なんかすみません。

万全の準備をした結果として予約した10時の1時間前には起きまして、そこから車で15分もあれば知り合いの少年にレッドブルの1本でも買って翼を授けてあげるくらいの余裕はあります。

でも、積雪がすごかったんです。そして前のバスがちょいちょい止まるんです。追い抜こうとしても積雪がすごい。抜けないし、今度は事故でぜんっぜんなんともない道が渋滞しているし約束の時間は刻々と過ぎていくし、でもそんな20分くらい遅刻したくらいで髪切れないなんてことありますか?ないですよ。知り合いの少年に頑張ってもらおう。だって翼を授けるんだもの。絶対いけるよ。

と思っていたのが30分前。髪を切れずにモノクロの顔で帰ってました。なんか今年で一番忙しい日らしいです。
そんな日に予約することってありますか?

なぜですか?なんでですか?2016年ってなに年なんですか?呪いかよ。とか考えてましたが、その後知り合いの少年から連絡があり「ちょっと1週間そっちに出張するわ」と。

ということで年末からついに、ついに切れなかった髪が。ほぼ100%自分のせいですが。
3月1週目の週末に無事、散髪出来ることが決まりました。

どうでもいい散髪の話をしてやったことにより、ここまで読んでくれた人が少なくなってきたと思います。よって少し恥ずかしい話を。

中学校の卒業式を迎えた時の話ですが、最後に当時の担任が「お前らがここでどれだけ涙を流そうが、そんなことで友情が確かめられるわけじゃない。10年後、みんなが繋がっているかどうかで本物かわかる。」という話を鮮明に覚えていて、なるほど。とか関心していましたね。ちなみに当時、涙は出てません。

実際あれから10年が経ちました。あの頃のクラスメイトの大半とはただの知り合いになっています。連絡先しらない連中がほとんどですね。もちろん当時から繋がり続けてるお友達もいますが、だいたいそんな友達はみんな腐ってます。腐敗臭が半端じゃないですが、腐ってる者同士仲良くしてます。
腐った死体が仲間を呼ぶ原理と同じです。そんな中学校の腐った死体どもは住む土地が離れても結局わらわらと呼んでもないのに集まってきます。迷惑です。

夏からお世話になり、随分と充実した時間を過ごしてきました。会社で仕事をするのは本当に楽しいです。
社長は明るいしよく絡んでくれますし、ラジオが流れています。優しい人ばっかりだしラジオが聞けますし、仕事は自分がしたいことだしラジオ流れているし。とにかく半年間がすごくあっという間にラジオと共に過ぎ去って、振り返ればストレス大国と言われる日本でノンストレスにラジオを聴きながら仕事が出来ました。

いろんな思い出がありますが、やっぱりラジオショッピングを聞いていて欲しくなる商品達の思い出は強いです。商品見ていないのに買いたくなるあの営業。とてつもないです。尊敬します。

切れない髪の話、そして切れない縁の話でしたが、私は10年後に今をどう思い返しているのか。

最後になりましたが、
ラジオって面白い。

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金曜日の日没時が最高に好きな時間でした。

DH指名打者

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