芥川賞作家の西村賢太 氏が2022年2月5日に逝去されました。
54歳でした。
西村氏は1967年に東京都に生まれ、中学卒業後、肉体労働で生計を立てながら私小説を書き、同人誌「煉瓦(れんが)」に『けがれなき酒のへど』という作品を発表します。
その作品が2004年12月号の文芸誌「文學界」(文藝春秋 刊)に同人誌優秀作として掲載されたのをきっかけに小説家としてデビューしました。
そして、2007年に『暗渠(あんきょ)の宿』で第29回野間文芸新人賞、2011年には『苦役列車』で第144回芥川賞を受賞するに至ったのです。
作風は「破滅型私小説」と称され、主人公のダメさ加減が特徴的でした。
それ故に氏独特の表現も相まって、臨場感の強さや表現力の深みに圧倒させられます。
加えて、芥川賞受賞会見での型破りなコメントによる、本人の破天荒なキャラクターが注目されたことも記憶に新しいです(コメントの内容はネットにもありますので探してみてください)。
大正期の私小説作家、藤澤清造(1889-1932)に傾倒し、“歿後弟子”となった西村氏。
清造の月命日には、東京から彼の出生地である石川県七尾市のお寺まで出向き、墓参を行っておりました。
2002年には本人の墓の隣に西村氏自身の生前墓を造立したことからも、清造への並々ならぬ思いが伝わってきます。
複数の掲載誌を経て、月刊誌『本の雑誌』で連載中の『一私小説書きの日乗』では、ぎっくり腰や痛風に悩まされる場面や、執筆を終えての明け方からの晩酌、大食漢ぶり(例:吉野家でビール2本と牛皿の特盛、お新香に〆は並盛の丼……など)が垣間見える記述が印象的でした。
ウーロンハイ六杯と肉野菜炒め、ハムカツ、ウインナー揚げ。最後にニラ玉定食とカレー蕎麦を食べる。(『一小説書きの日乗』(角川文庫 2014年)より)
また、逝去の数日前に読売新聞(2022年2月2日付)に寄稿した石原慎太郎 氏(小説家)への追悼手記が、冴えわたる筆致で石原氏を偲ぶ内容だったことも忘れることはできないでしょう。
(なんとこの手記を、依頼後のわずか数時間で書き寄せてくれたとのこと)
それだけに類まれなる文才を持つ氏独自にしか書けない世界を展開してきた、あまりにも早すぎるご本人の死はとても残念になりません。
心よりご冥福をお祈り申し上げる次第です。
糖分大好きっ子